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東京地方裁判所八王子支部 昭和43年(ワ)1096号 判決 1972年9月06日

原告

清水とよ

ほか二名

被告

昭島市

主文

被告は原告参名各自に対しそれぞれ金参百参拾参万九千六百六拾壱円およびこれに対する昭和四拾参年参月拾八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし

原告参名のその余の請求を棄却す

訴訟費用はこれを参分し、その壱は原告参名の、その弐は被告の各負担とす

この判決は原告参名勝訴の部分に限り仮に執行することを得

事実

原告三名の訴訟代理人は、「被告は原告三名各自に対しそれぞれ六、六七九、三二二円およびこれに対する昭和四三年三月一八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

「一 訴外清水清はブラザーミシン販売株式会社に勤務する者であるところ、昭和四三年三月一八日午前一〇時五〇分ごろ東京都昭島市拝島町三七九〇拝島第三小学校前の市道(昭島市一三号道路)をバイクを運転して進行中、短径一・三メートル、長径二・五メートル、深さ一二センチメートルの路面の穴(以下本件穴という)にバイクの車輪(前輪)をとられて転倒し、ヘルメツトをかぶつていたにも拘らず右側頭部打撲、頭蓋骨骨打、頭蓋底骨折、右耳出血の重傷を負い、このため同月二一日午後八時四一分死亡するに至つた。

二 被告は地方公共団体で本件交通事故の発生した道路を管理するものである。本件事故現場周辺には本件穴のほかにもいくつかの穴があり、これらの穴のため転倒者が続出しており、車両も車輪を窪みにとられることが多く、またそのため車の下腹部を路面にこすることがしばしばあつて平素から事故発生の予測される状況にあつた。被告は本件道路の管理者として本件道路に存する右の如き瑕疵を修復する義務を負うものであるに拘らず右の義務を怠り本件道路の瑕疵をそのまま放置していた。清水清はそのため本件交通事故に遭いその生命を失つたものである。

被告は国家賠償法第二条第一項および民法第七一七条に基づき本件交通事故によつて生じた損害を賠償する義務あるものである。

三 清水清は昭和九年一一月二日生れでブラザーミシン販売株式会社に勤務しており死亡当時三三才であり六〇才の定年まで勤務して得られる収入は別紙(1)のとおりである。又清水清が定年退職した後六五才まで働いた場合その収入は総理府統計局作成の「世帯主の年令別収入と支出」昭和四一年度統計によれば別表(2)のとおりである。清水清の生活費は賞与を除く収入の三分の一と考えられ、これを控除したものが清水清の純収入となる。結局清水清は本件交通事故により死亡したため右の得べかりし利益を喪失したものであり被告は清水清に対しこれを賠償しなければならない。而して右の賠償額を現在直ちに請求するとしてその間の年五分の割合による中間利息をホフマン式計算法により一年毎に控除して得る金額は別表(3)のとおり一七、〇三七、九六六円である。

四 原告清水とよは清水清の妻であり、原告清水清茂、同清水恵子はそれぞれ清水清の長男と長女である。原告三名は清水清の死亡により同人の一切の権利義務を各三分の一宛の相続分をもつて相続し前記損害賠償請求権も右の割合をもつて各自五、六七九、三二二円づつ承継取得したものである。原告三名は本件交通事故により夫又は父を失つたものでその精神的苦痛に対する慰藉料は各自それぞれ一、〇〇〇、〇〇〇円をもつて相当とする。

五 以上の次第であるから、原告三名はそれぞれ被告に対し六、六七九、三二二円およびこれに対する本件不法行為の日である昭和四三年三月一八日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

旨陳述した。〔証拠関係略〕

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

「一 原告らの請求原因第一項の事実のうち、清水清が昭和四三年三月一八日午前一〇時五〇分ごろ東京都昭島市拝島町三七九〇拝島第三小学校前の市道(昭島市一三号道路)をバイクを運転して進行中転倒して負傷し同月二一日午後八時四一分死亡したことはこれを認める、その余の事実は争う。

二 請求原因第二項の事実のうち、被告が地方公共団体で本件交通事故の発生した道路を管理するものであることはこれを認め、その余の事実はすべてこれを争う。

三 請求原因第三項の事実は知らない。

四 請求原因第四項の事実のうち清水清と原告らの身分関係は、知らない、その余の主張は争う。

五 本件交通事故の発生に関する被告の主張はつぎのとおりである。

本件交通事故の発生した道路は簡易舗装の施された道路であるが近時米軍関係車両、土砂運搬車両等の重量の大きい車両が絶え間なく通行するため約三〇〇メートルに亘つて路面が波状をなしている。波の高低がゆるやかな傾斜をなして続いているのであつて路上に穴があいているという状況ではない。原告ら主張の本件穴も波状のひとつであつてその最も低いところで深さ一二センチメートルという形状であり道路の平坦な部分から直角に深さ一二センチメートルの穴があいているというものではない。

本件道路における車両の制限時速は四〇キロメートルである。

右のような道路状況および時速制限のもとに在つて清水清はつぎのような運転の仕方で本件交通事故を惹起したものである。

清水清は昭和四三年三月一八日午前一〇時四五分ごろ晴天の状況において昭島市拝島町三七九〇番地先路上を第二種原動機付自転車を運転して昭島警察署前通り方向から国道一六号線方向に時速五〇キロメートルで進行し別紙図面(イ)(第一路面欠損個所)と(ロ)点(第二路面欠損個所)との中間を通過して一二・三〇メートル進んだ(ハ)点において初めてハンドル操作を誤まり(ハ)点から四・九〇メートル先の(ニ)点を自転車を右に傾けたまま進行し、八・五五メートル先の(ト)点でガードレールに衝突し(チ)点において転倒したものである。このことは(ハ)点と(ニ)点に車体が路面に接触したことを示す擦過痕があり、(ニ)点から右傾のままの(ホ)、(ヘ)二条の擦過痕があること、(イ)点と(ロ)点附近には何等の擦過痕がないこと、清水清の着用していたヘルメツト、自転車の右フエンダー、風防、荷台の箱、バツクミラー、右ステツプ、補助ステツプ等の各損傷状況によつて明らかである。

右のような事故発生の状況からみて、清水清は道路の欠損とは全く関係なく自らのハンドル操作の誤りと速度違反とによつて本件交通事故を惹起したものである。

六 被告は本件道路の管理者としてその義務を十分に尽しており、本件道路の管理に国家賠償法第二条第一項に規定する「瑕疵」はない。

地方公共団体はその負担能力、納税者の担税能力に応じて、最終的にはその財政能力に応じた予算の範囲内においてその管理する道路の整備をするものであり、本件道路は近時米軍関係の車両、砂利運搬車等の重量の大きい車両の交通量が極度に増加しそのため簡易舗装の路面に損傷を生じ路面が波状となつたのであるが、その修理が間に合わない状況に在るものである。

七 清水清は結核の治療のための療養生活をし昭和四三年になつて漸く勤務につくことができるようになつたもので通常の健康を保持する者ではなく六〇才の定年まで稼働し定年後更に六五才まで稼働するということは不可能である。清水清の死亡時における職種はミシン修理工であつてかかる職種の者に対し六〇才の定年時において原告ら主張のような一二万円以上の給与を与えるということは到底あり得ないことである。」

旨陳述し、抗弁として、

「仮に被告が本件交通事故に関し賠償義務を負うものとするならば、被告はつぎのとおり過失相殺を主張する。

そもそも車両の運転者は常に道路の状況に注意し欠損個所がある場合は減速するなどして事故の発生を防止すべき義務を負うものであるところ、清水清は本件道路を毎日通行していてその破損状況を知悉していたものであるから制限速度より更に減速して本件道路を通行すべきに拘らずこれを怠り五〇キロメートルの違反速度で進行したものである。清水清の右注意義務違反は本件交通事故の発生に関する同人の過失であるから本件賠償額の決定に関し斟酌せらるべきである。」

旨陳述した。〔証拠関係略〕

理由

清水清が昭和四三年三月一八日午前一〇時五〇分ごろ東京都昭島市拝島町三七九〇拝島第三小学校前の市道(昭島市一三号道路)をバイクを運転して進行中転倒して負傷し右負傷に因り同月二一日午後八時四一分死亡したことは当事者間に争がない。原告らは、清水清は路面に存する本件穴にバイクの前輪をとられて転倒した旨主張し被告はこれを否認するのでこの点について考察する。〔証拠略〕によればつぎの各事実を認めることができる。本件交通事故の発生した道路は昭島警察署前通り方向から国道一六号線方向に通ずる昭島市道一三号で昭和三七年度に簡易舗装(基礎六センチ、表層三センチのアスフアルト舗装で耐久力五年)のなされた道路であるが昭和四二年ごろから交通量が増加し米軍のタンクローリー車などの重量の多い車両の通行がはげしくなつて舗装が破損するようになり昭和四二年一〇月ごろから道路の補修が行われるようになつていた。本件交通事故発生の現場附近は昭島警察署方向から国道一六号線方向に向つて右側に拝島第三小学校があり、左側には永井材木店の事務所と材木置場があり道路両端から各一・五〇メートルのところにガードレールが設置されガードレールとガードレールの間の部分(車道部分)は八・四〇メートルの幅員がある。(以下道路上の位置関係を表示するに当つて昭島警察署方向を右、国道一六号線方向を左と表示する)清水清は昭島市拝島町三七九〇番地永井材木店前のガードレール附近に足を道路中央に向けて倒れその頭部近くに第二種原動機付自転車が横転していた。清水清の倒れていた場所から右に七メートルと一二・四五メートルの二条の擦過痕が、右二条の擦過痕の右端中間に長さ〇・三五メートルの擦過痕が、又そこから右寄り四・九〇メートルのところに長さ〇・二六メートルの擦過痕がそれぞれある。そして右〇・二六メートルの擦過痕から右寄り六・六〇メートルのところに道路中央にかけてやや永井材木店寄りに長径一・二五メートル、短径一・一〇メートル、深さ〇・三〇メートルの破損(陥没)があり、その右寄り三・三〇メートルのところに長径二・五〇メートル、短径一・三〇メートル、深さ〇・一二メートルの破損(陥没)がある。後者の陥没は永井材木店側のガードレールから〇・一〇メートルのところからはじまつて道路中央附近に向つて二・五〇メートルの長さがありこれと前者の陥没とを併せると右の道路破損は本件現場を昭島警察署方向から国道一六号線方向に進行する場合その車線ほぼ一杯にまたがる破損である。清水清は昭島市道一三号を第二種原動機付自転車を運転して昭島警察署方向から国道一六号線方向に進行し前記二個所の道路破損個所を通過した後ガードレールに衝突し右側を下にして転倒した。清水清の運転していた第二種原動機付自転車は前フエンダーが左方向に曲り、右側のバンバー、ステツプ、補助ステツプが後方に曲り後部荷台の工具箱の右側面に擦過痕かあり右前バツクミラーが破損している。又清水清の着用していたヘルメツトは風防がはづれその右側面が割れている。以上の各事実を認めることができる。これらの事実を綜合して考察すれば、清水清は前記二個所の道路破損個所のいずれかに自転車の前車輪を陥落させてバウンドしたか或いはこれらの破損個所を避けるためのハンドル操作か、そのいずれかによつて運転の平衡を失つてガードレールに衝突し右側を下にして転倒したものと認めるのが相当である。被告は別紙図面(イ)点、(ロ)点附近に何等の擦過痕がなく(ハ)点に至つてはじめて擦過痕があることから清水清は前記二個所の破損個所(被告主張の(イ)点、(ロ)点に該当する)を無事通過した後(ハ)点においてはじめてハンドル操作を誤つたもので二個所の道路破損個所は本件交通事故の発生には無関係である旨主張するのであるが、(イ)点、(ロ)点附近に擦過痕がなく、(ハ)点に擦過痕があることから被告主張のような認定のみが可能であるとは言えないのであり、さきに説明した当裁判所の認定も可能である。而していずれの認定がより納得し得るものであるかということになれば、清水清が運転の平衡を失うに至つた原因として本件道路上の前記二個所の破損個所の存在以外に格別の見るべきもののない本件においては右破損個所の存在を原因であると考えることが相当である。被告は清水清が時速五〇キロメートルで進行したことが原因であると主張するけれども、道路の破損に関係なく速度が時速五〇キロであつたために本件事故が発生したという意味においては被告の右主張を肯認するに足る証拠はない。結局本件交通事故の発生状況についての前記認定を覆すことはできない。そこでつぎに本件道路に前記二個所の破損個所が存したことが道路の管理に瑕疵ある場合に当るか否かについて考察する。被告が本件道路を管理するものであることは当事者間に争がなく、〔証拠略〕によればつぎの各事実を認めることができる。昭島市道一三号は昭和四二年ごろから破損が著しく被告昭島市は同年一〇月ごろから道路全般に亘つて常時補修を行つていたのであるが、本件事故現場の前記二個所の破損個所については本件事故発生当時においてその補修がなされておらなかつたところ、本件事故発生当日の正午ごろ昭島警察署から被告昭島市に対し本件事故発生の通知と前記破損個所の修理の要請をなした結果同日午後二時ごろ昭島市建設部の作業員によつて右破損個所の修理がなされた。前記破損個所については本件事故発生前永井材木店の永井重治からしばしば昭島市に対し修理の要請をしていた。以上の各事実を認めることができる。これらの事実によれば被告昭島市には本件事故現場の破損個所修理に関し道路管理者としての義務の履行に欠けるものがあつたといわなければならない。本件交通事故は本件道路の管理に瑕疵があつたために発生したものである。被告は本件交通事故によつて生じた損害を賠償する義務あるものである。

そこでつぎに原告ら主張の損害について考察する。〔証拠略〕を綜合すれば、本件交通事故によつて死亡したことによる清水清の蒙つた得べかりし利益の喪失に関する原告らの主張事実(請求原因第三項の事実)はすべてこれを肯認することができ、又その逸失利益を現在直ちに請求する場合の年五分の割合による中間利息を控除して得られる所謂現在額の主張もこれ肯背認することができる。被告は、清水清は結核の治療のため療養生活をなし昭和四三年になつて漸く勤務につくことができるようになつたもので通常の健康を保持する者でなく六五才まで稼働することは不可能である旨主張するところ、〔証拠略〕によれば、清水清は昭和三八、九年ごろ八紘運輸有限会社に自動車運転手として勤務し、昭和三八年には三七三、二〇〇円の、昭和三九年には四四一、五六一円の給与の支払を受けたが昭和四〇年三月から左肺門淋巴腺腫脹と診断され、結核菌は顕出されなかつたが療養生活に入り同月二二日から同年一二月二五日まで昭島市の昭島病院に入院し退院後も昭和四二年二月二八日まで同病院に通院して結核化学療法を受けその後同病院の経過観察を受け昭和四三年三月七日病巣固定治癒との診断を受けた事実、昭和四〇年三月から昭和四一年九月までは療養生活のため所得がなかつた事実をそれぞれ認めることができるけれども、右の事実から清水清は通常の健康体でなく六五才までの稼働能力を有しないと認めるのは相当でなく、むしろ本件事故当時においては病気は一年余りの観察を経た上病巣固定し治癒したものと認められていたのであるからむしろ通常の健康体に復したものと認めて差支ない。被告は清水清に対し一七、〇三七、九六六円およびこれに対する本件交通事故発生の日である昭和四三年三月一八日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務あるところ、清水清の右損害賠償請求権は同人の死亡によりその相続人に承継されるべく、〔証拠略〕によればその相続人は清水清の妻である原告清水とよと、子である原告清水清茂、同清水恵子の三人であることを認めることができ、その相続分は各三分の一であるから、清水清の前記損害賠償請求権は原告三名によつて各三分の一の割合をもつて承継されたものである。被告はまた原告三名に対し原告三名が清水清の死亡によつて受けた精神上の苦痛を慰藉すべき金員を支払う義務を負うものであり、その金額は原告三名につき各一、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。そこでつぎに被告の抗弁について考察する。

さきに認定したように本件交通事故の発生した昭島市道一三号は昭和四二年ごろから破損が著しく昭島市が常時補修を行つていた道路であり、〔証拠略〕によれば清水清は西多摩郡福生町に居住して昭島市拝島に在るブラザーミシン販売株式会社の営業所に通勤している者で本件道路の破損状況は十分に知つていたものと認められるところであるから、本件道路を第二原動機付自転車を運転して通行するに当つては道路の破損個所に車両を陥落させたり、或いはそれを避けるためのハンドル操作を誤まらないために相当程度に減速して通行する義務を負うものである。しかるにさきに認定した本件交通事故発生の状況に鑑みるときは、具体的な時速の数値を知ることはできず又、被告の主張するような時速五〇キロと認定すべき証拠はないが、清水清は右の注意義務を欠く程度の速度をもつて進行したものと認められるところであり、このことは本件事故発生に関する清水清の過失であるといわなければならない。本件事故によつて生じた損害の賠償額を決定するに際し、右の事実は斟酌されるべく、さきに認定した逸失利益、慰藉料を通じその二分の一を減ずるのが相当である。結局被告は原告三名各自に対し各三、三三九、六六一円およびこれに対する昭和四三年三月一八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払う義務あるものである。原告三名の本訴請求は右の範囲内においてその理由があるのでこれを認容し、その余は失当であるからこれ棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 中田早苗)

(1) 給与、賞与の計算

<省略>

(2) 61歳~65歳年間給与支給額

<省略>

(3) ホフマン計算額(複式)

<省略>

別紙図面

<省略>

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